筒井康隆 讃

「ハード」な「スラプスティック」の魅力

「筒井康隆ってSF作家なの?」という声を聞くことが、たまにある。私もそれに対する明解な答えを持っているわけではないし、明解に答えようとも思わない。しかし少なくとも私が最も親しんだのは「ドタバタSF」とか「スラプスティックSF」とか呼ばれていた時代の作品群である。中でも強烈な印象を残しているのが『メタモルフォセス群島』と『ポルノ惑星のサルモネラ人間』だ。いずれも一九七〇年代半ばの作品だが、今、読み返してみてもほとんど古さは感じられない。

この二作に共通した魅力は、何と言っても登場する多くの奇々怪々な生物たちである。それが奇々怪々なだけでなく、まがりなりにも進化論的(退化論的?)にありうべき存在として説明されているところが、また痛快なのだ。スラプスティックでありながら、ハードSF的な理屈っぽさもあるという、筒井作品の中では、わりと珍しいタイプなのではなかろうか。 『メタモルフォセス群島』では核実験の影響による生物(相)の変容が、多少のギャグはあるものの、けっこうシリアスに描かれている。人間の「埋葬」という行為すら生息域の拡大に利用しようとする植物の造型は新鮮かつ衝撃的だった。現実にも植物は昆虫や鳥をはじめとする動物を、自らの繁殖にあの手この手で巧みに利用するものであり、それを知っているとこの作品はより恐くなる。

『メタモルフォセス群島』の姉妹編とも言うべき『ポルノ惑星のサルモネラ人間』ではスラプスティックの度合いが高まり、生物の奇怪さもパワーアップして絢爛豪華な印象すら与える。私が一番好きなのは動物の雄性器を刺激して射精させ、その精液を食べるバクテリアの排泄物を摂取する藻類「クジリモ」である。これだけ言うと非常に馬鹿馬鹿しい作品のようだが、進化論を逆手にとったアクロバット的論理展開によって、地球とは異なったコンセプトに基づく進化や生態系の可能性を見事に描き出している。ちょっとヒッピー文化の余韻が残るあたりは時代を感じさせるが、ブライアン・オールディスの『地球の長い午後』や椎名誠の『アド・バード』と並んで、異形生態系SF(そんなジャンルあるのか)の金字塔だと私は考えている。

ご尊父が動物学者のせいだろうが、動植物学や生態学に対する筒井氏の知識や愛着には、並々ならぬものがあるようだ。上記二作品と同時期に発表された『私説博物誌』を読んでも、それを感じた。以後、この分野での小説はほとんど書いておられないようだが、もう一度くらい、あの頭がクラクラするような異世界を見せてほしいものだと思っている。(「SF Japan」2000年秋季号)

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