酔いどれの吟遊詩人とでも言うべきトム・ウェイツからは、色々な意味で影響を受けている。しかし個々のアルバムや曲に、直接関係した思い出があるわけではない。ただ『異国の出来事』(イーストウエスト・ジャパン)に収められている「バーマ・シェイブ」という曲を聞くと、必ず目の前に浮んでくる風景がある。
それは、どこまでもまっすぐに続く、だだっ広い道だ。
もう一〇年くらい前になるが、僕はアメリカの東海岸、メリーランド州に留学していた。大学のあるカレッジパークという町から、附属の生物学研究所があるソロモンという村までを、ほぼ週に一度、車で往復していた。片道で二時間近くかかるのだが、そのほとんどの道のりが退屈な一本道だったのだ。
多少の上り下りはあるが、とにかくまっすぐで周囲にはほんとうに何もない。平らな原野か深い森が広がっているだけだ。よく居眠り運転をした。ふと気がつくと道路ではなく、原野を走っていたりした。それでも事故を起こさなかったのは、周りに他の車も障害物もなかったからだろう。
一度、やはりぼんやり走っていたら、パトカーではなく消防車にサイレンを鳴らされて、追いかけられていたことがある。エンジンがオーバーヒートして、煙が出ていたらしい。この車はじきにオシャカになって、ある日、研究所から大学へ戻る途中にハイウエイの出口で止まってしまった。このときは、まずパトカーが来てレッカー車を呼んでくれた。しかし、そのレッカー車の運転手が酒を飲んでいたらしく、やって来たはいいが、その場で逮捕されてしまった。目の前で手錠をかけられている運転手を見て、アメリカだなあと思ったものだ。
バーマ・シェイブというのはシェービング・クリームの商品名で、一九三〇~六〇年代、広告のためハイウエイ沿いに並べられた看板が評判になった。その宣伝文句には様々な種類があり、いずれも調子のいいフレーズでウイットに富んでいたため、退屈で長いドライブの気をまぎらせてくれたのだ。それに次の町が近づいていることを教える、道標のようなものでもあったらしい。しかし車が高速化して長いフレーズが読めなくなったことや、テレビなどの宣伝効果が大きくなるにつれ、その看板は消えていった。現在では、古きよき時代の思い出にしか残されていない。
トム・ウェイツの曲では、この看板が息苦しい日常の世界と、自由な新天地との境界を示す隠喩となっている。
アメリカのハイウエイを走っていると、様々な思考が断片となって去来し、しばしば茫漠とした想いにとらわれる。すると目の前の道がまっすぐにいつまでも続いて、どこへもたどり着けないのではないかという不安に襲われることがよくあった。そんなとき見覚えのある標識に出会うと、心底ほっとしたものだ。
今でも気分が沈んでいたりノスタルジックになっているときなど、あの孤独な二時間のドライブが脳裏に蘇ってくる。そして、また茫漠とした想いに襲われる。道は何もないはるか地平線の一点に消え、バーマ・シェイブの看板は、どこにも立っていない。(「別冊文藝春秋」2003年1月号)